ビルマ戦記を追う<8>
兵隊や軍医、捕虜、外国人といった、さまざまな人が書き残したビルマでの戦記50冊を、福岡県久留米市在住の作家・古処誠二さんが独自の視点で紹介します。
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歩兵第五十五連隊の戦友会がまとめた部隊史である。昭和十九年八月十七日、イラワジ河ほとりのシュエグーという町に火野葦平氏が現れた記述があるので少し引用する。
――左上腕部に報道員の腕章をつけ、佐官待遇の赤い刀緒の軍刀を帯した将校スタイルの日焼けした精悍(せいかん)な報道員姿であった。(中略)我々(われわれ)が最も知りたかった本土の状況や太平洋方面の戦況についてはなぜか口が重かった。
火野葦平氏自身の残したメモと若干の食い違いが見られるものの、身なりが細かく記されていることからも火野氏の存在感の大きさがよく分かる。長崎の大村で編成された歩兵第五十五連隊もまた久留米師団に属していたのである。
本書は部隊史らしい部隊史である。明治三十八年の動員下令、第一次世界大戦における青島要塞(ようさい)の攻略、大正軍縮による廃止、支那事変による復活などの歴史がたどられ、中国大陸、マレー半島、シンガポールといった戦地への転戦が記されている。が、全体の実に八割近くを占めているのが最後の戦地となったビルマである。
時間を追った記述であるがゆえに、ビルマの緒戦もしっかりと書かれている。ビルマという戦地は有名でも、占領がどのようになされたのかとなれば日本人のほとんどは知らないだろう。インパール作戦の前後は空白というのが偽らざるところではなかろうか。
部隊史の価値のひとつがここにあると言っていい。戦後の人間が注目しないところにも筆が伸びるのである。敵から得た情報の活用や、幻に終わったラシオ空挺(くうてい)作戦、重慶軍が行った焦土戦術などの記述が本書にはある。ビルマ占領がすみやかになされた要因を「航空支援」「現地ビルマ人の積極的な協力」「ビルマ独立義勇軍の存在」とまとめてもいる。これらは戦後のイデオロギーの中ではまず伏せられることである。
(こどころ・せいじ、作家)
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古処誠二(こどころ・せいじ) 1970年生まれ。高校卒業後、自衛隊勤務などを経て、2000年に「UNKNOWN」でメフィスト賞を受賞しデビュー。2千冊もの戦記を読み込み、戦後生まれながら個人の視点を重視したリアルな戦争を描く。インパール作戦前のビルマを舞台にした「いくさの底」で毎日出版文化賞と日本推理作家協会賞をダブル受賞。直木賞にも3度ノミネートされている。
Source : 国内 – Yahoo!ニュース